家族の文化祭 2019年秋 出店者紹介 【Call My Name 原発被災地の犬猫たち 上村雄高】

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何かを訴えるように懸命に鳴きながらこちらへ来る『小春』
(2012年5月26日上村さん撮影)

家族の文化祭とは

11月4日(月)、dogdeco HOMEが店舗を構えるコミュニティステーション東小金井にて家族の文化祭を開催いたします。地域で暮らす仲間を家族ととらえ、家族みんなで楽しめるイベントを目指す『家族の文化祭』。あたらしい日常料理のふじわら・coupé・safuji・ヤマコヤ・dogdeco HOMEのatelier tempoメンバーが、飲食・クラフト・ワークショップ・音楽を複合させたイベントを企画し、毎年、春と秋に開催しています。家族の一員である愛犬にも楽しんでもらえる、おやつの作り手やペットグッズブランドも出店いたします。愛犬と一緒にぜひ遊びにいらしてください。

【家族の文化祭】
 開催日時:11月4日(月) 10:00-16:00
 開催場所:コミュニティステーション東小金井
      (JR中央線東小金井駅高架下)

 ペット関連出展者:
 ・atelier kiji(オーダークッション・アクセサリー)
 ・mannine(ドッグウエア・小物
 ・more more TREATS!(犬のおやつ)
 ・Blow the Whistle(ペットグッズのオーダー・ワークショップ)
 ・Call My Name原発被災地の犬猫たち(写真展示・グッズ)
 ・dogdeco HOME(ペットグッズ・オーダー刺繍ブローチ)

その他、飲食、クラフト、ワークショップ、音楽イベントなどの詳細はこちらをご覧ください。
https://www.facebook.com/kazokunobunkasai

『Call My Name 原発被災地の犬猫たち』上村雄高

飯舘村で出会った「マメ」
(2012年6月3日上村さん撮影)

東日本大震災から8年。
福島第一原発の事故により避難指示が出された福島県飯舘村には、今も飼い主と離れて暮らす犬や猫がいます。避難指示解除から2年余り、帰村率は未だわずか2割ほど。震災当時、仮設住宅への犬猫同伴避難が認められなかったため、飼い主の多くが犬猫を自宅に残していきました。民家の庭で繋がれたまま暮らす犬たちは、一時帰宅する飼い主を今も待ち続けています。
そんな犬や猫たちの姿を記録するために、2012年から飯舘村に通い続けているカメラマンの上村雄高さん。

今回の家族の文化祭では、上村さんが飯舘村で撮影してきた犬猫の写真展『Call My Name 原発被災地の犬猫たち』を開催いたします。一人でも多くの方に、被災地で暮らす犬猫の存在を知っていただき、また、いつ誰にでも起こり得る災害時の対策について、考えるきっかけにしていただけたらと思います。

「Call my Name」

「チャック」
(上村さん撮影)

2011年、避難指示が出された福島県飯舘村には、当時およそ200頭の犬と400頭の猫が取り残されました。被災した犬や猫にも私たち人間と同じように、名前があり、家族がいて、そこに生活がありました。飯舘村で起こったことが風化していかないように、まるで何もなかったことのように忘れられてしまわぬように、そんな思いを込めて『Call my name』と名付けた写真展を開催し続けている上村雄高さん。普段は東京都国立市で『イヌとネコとヒトの写真館』を経営しています。

飯舘村で出会った子猫たち。今は上村さんの家で暮らしています
(2012年6月30日上村さん撮影)

「元々は主に猫を撮っていたのですが、震災をきっかけに報道カメラマンとしての活動を始めました。放射能汚染や被害者の避難状況について取材していく中で、汚染が深刻な地域では牛や豚が殺処分されたり、何千頭もの牛が餓死していることを知りました。被害は人間だけでなく動物たちにも及んでいたのです。被災地の動物たちの命を守る活動されている方との出会いをきっかけに、現地の犬猫を取材させていただく機会を得ました。私が初めて飯舘村に訪れたのは2011年秋。震災発生から半年ほど経っていましたが、そこはまるで別世界でした。」

山の上の犬たち。人の訪問に鳴き声が響き渡る
(2012年2月19日上村さん撮影)

「大雪の中鎖に繋がれた犬たち、人の姿に歓喜してフードを貪る犬猫たち。その日、目の当たりにした光景はあまりに衝撃的なものでした。2011年5月から飯舘村は居住禁止となり、飼い主が一時帰宅するほかは、1日に数回、見守り隊がパトロールに来るのみ。犬猫たちは、飼い主とボランティアが運ぶペットフードで命をつないでいましたが、犬猫たちが人と過ごせる時間はわずかでした。飼い主たちは突然生業を失い、避難先での新しい生活を築いていかなければならなかったのです。また、仮設住宅から村までは車で1時間ほどの距離。当時、村へ通うのは容易ではなかったはずです。」

半径3メートル弱がつながれた「やま」の世界
(2012年3月10日上村さん撮影)

「繋がれた犬たちがお腹を満たすには、人の力が必要です。朝晩の食事という当たり前のことが消えたこの場所では、大量の置き餌が犬たちの主食となりました。過食と運動不足による肥満、犬たちの健康は心身ともに蝕まれていきました。また、犬たちの怪我や病気がすぐに発見されることは稀で、発見の遅れにより致命傷となったケースもありました。」

「ミッキー」
(上村さん撮影)

原発被災地の犬猫に起きたことは犬や猫と暮らす私たちにとって、決して他人事ではなく、自分事として考えなくてはならない問題です。
つい先日の台風19号では、首都圏にも大きな被害が出ました。都内でも避難指示が出された地域がいくつもありましたが、その中でペット同伴避難が可能だった避難所はごく僅かでした。
東日本大震災当時にペットの同伴避難が可能であれば、飯舘村の犬猫たちの生活は現状とは全く違うものになっていたはずです。
自分の住んでいる地域では犬猫同伴避難が可能なのか、不可能ならば、どのようにして愛犬・愛猫を守るのか。
飯舘村の犬猫たちの現状を知っていただくことにより、一人でも多くの方が愛犬愛猫の防災対策について考えるきっかけとなれば、と思います。

福島県飯舘村

10月9日、dogdecoスタッフの石井と共に飯舘村での活動に同行させていただきました。早朝、東京を出発し、車で約5時間。飯舘村の道の駅で待ち合わせをしていました。
ところが時間を過ぎても待ち合わせ場所に現れない上村さん。連絡をしてみると、トラブルが発生したとのこと。

「すでに解体が決まっている民家の納屋で猫が見つかったので、その子を保護してから向かいます。」

飯舘村の猫
(上村さん撮影)

この日、猫が見つかった民家の納屋は以前まで猫の餌場としていた場所でした。民家と納屋の解体が決まり、それに伴い猫の餌場を撤去せざる得なくなったため、この餌場に訪れる猫の数を監視カメラで確認し、すべての猫を保護し終えたばかりでした。

飯舘村の猫
(上村さん撮影)

上村さんが飯舘村に訪れる際は、震災当時からボランティア活動を続けられている内藤さんと一緒に活動されることが多いそうです。この日も、車のトランクがパンパンになるほどの物資を積み込み、千葉から内藤さんと一緒に来られていました。
無事、保護し終えた猫を内藤さんが病院へ連れて行くことになり、私たちは上村さんと一緒に、まずは『ピッコロ』の元へ向かいました。

戻りたくても戻れない住民

農家にとって大切な土が放射性廃棄物と化す
(2014年8月17日上村さん撮影)

県道沿いには道の駅やコンビニが立ち、にぎわいを取り戻し始めているように見えました。しかし、通りを一本入ると、主を失ったままの家々がひっそりと残り、そこかしこに放射性廃棄物が入れられたフレコンバッグが山積みにされています。

「マリ」と散歩に出発して数分。放射性廃棄物の山がそびえ立つ
(2018年2月22日上村さん撮影)

「飯舘村は福島第一原発の北西に位置します。飯舘村は20km圏外だった為、当初、避難指示が出されませんでした。ところが風向きの影響により、飯舘村の汚染が深刻であることが明らかになり、幼い子供を持つ家庭は自主避難せざるをえなくなりました。飯舘村に避難指示が出されたのは2011年4月、原発事故が起きてから1か月以上が経った頃でした。もし当初から、10年20年という長期間自宅には戻れないという判断があれば、飼い主たちの行動も違っていた可能性があります。」

飯舘村の猫と放射性廃棄物の山
(上村さん撮影)

上村さんが飯舘村に通い始めたばかりの頃は、村中に警察や自衛隊車両の姿があり、張り詰めた空気が流れていました。常に持ち歩いていた線量計からは、危険を示す数値を知らせるアラームが鳴り続けていました。
2014年から2015年にかけて除染作業が行われ、放射線量は大きく減少しましたが、除染されたのは家屋・農地・道路・家屋周辺の森林のみ。村の8割近くを占める森林は除染されないまま、家屋のすぐ裏にまで迫っています。

左からdogdecoスタッフ 石井、ピッコロ、上村さん

飼い主の住んでいない家で一人で暮らすピッコロ。
私たちの車を見つけるなり、千切れそうなほど尻尾を振り、ニコニコと笑顔で迎えてくれました。

「ピッコロの家族は村外に住んでいますが、ご飯をあげたり散歩をしたり、お世話をするために週に数回家に戻ってきます。ピッコロをとても可愛がっていますが、村に泊まる日は限られており、基本的には日中ここで過ごした後に、夜には自宅に戻ります。ピッコロの家族はもともと、この場所で農業を営んでいましたが、避難生活が長引くうちに、別の仕事で生計を立てるようになっています。」

ピッコロと上村さん

ニコニコと嬉しそうなピッコロは、本当に人懐こくて、初対面の私たちにもその喜びを伝えるかのように、お腹を見せてくれ、触ってくれと言わんばかりに体を寄せてくれます。こんな状況にいても、人を憎むこともなく、甘えてくれるのです。私たちと一緒に過ごすピッコロは、ただただ幸せそうで、本当に可愛いのです。どうしてこんなに可愛い子が、こんな状況で暮らさなければならないのか。
様々な事情があるといいます。

お腹を見せて転がる『ピッコロ』

「2017年3月末に飯舘村の大部分で避難指示が解除されたものの、人の営みはほとんど戻ってきていません。もともと飯舘村はピッコロの家族のように、農家として生計を立てる家庭がほとんどでしたが、大切な畑や田んぼには放射性廃棄物が山積みにされ、農家が元の生活を取り戻せる状況には到底ありません。放射性廃棄物は、福島第一原発近くの中間貯蔵施設に移動されますが、施設はまだ建設途中です。今、飯舘村で生きている犬猫の多くが寿命を迎える前に、村が元の姿を取り戻すとは考えにくい状況です。」

『ピッコロ』

「当たり前の暮らしを失って8年、それでも犬や猫たちは、人間に親愛の情を示し続けてくれています。たまにしか顔を合わせない私にさえ、ピッコロは全身で喜びを表し、大歓迎してくれます。ピッコロの笑顔や甘える姿を見ていると、飯舘村で生きる犬猫たちが、私たちの傍らで暮らす愛犬、愛猫と何ら変わらぬ存在だと感じます。彼らはかわいそうな犬猫ではなく、それぞれが個性を輝かせて生きる命なのです。」

猫の餌場

猫の餌台
(2014年6月10日上村さん撮影)

これまでにボランティアが飯舘村でTNRを行ってきた猫の数は500頭以上。解体が決まった餌場から優先的に保護するなど、地道に活動し、飯舘村で暮らす猫の数を少しずつ減らしてきましたが、その道のりは決して楽なものではありませんでした。

「2015年頃まで、春と秋に子犬と子猫が生まれました。とりわけ目立ったのが子猫です。飯舘村では犬猫の不妊去勢の習慣がなく、猫の外飼いが当たり前だったためです。保護施設はどこもキャパいっぱいの犬猫を抱えていました。幸運な一部の猫は保護され、新しい家族を得たものの、多くの猫が不妊去勢手術を施され、再び人のいない土地に戻されました。」

「2016年から2017年にかけて、放置され老朽化した建物が次々に取り壊され、多くの猫が雨風をしのぐ寝床と餌場を失う危機に直面しました。村内に40カ所あった猫の餌場は15カ所ほどにまで減少し、家屋解体の最盛期には、100匹を超える猫たちがボランティアに保護されました。このため、すでに飽和状態にあった猫の保護施設は、キャパをはるかに超える猫を受け入れざるを得なくなりました。」

猫の餌場にしているビニールハウス

「原発事故の前、犬猫は人々に寄り添って生きてきました。人と暮らしてきた犬猫が自力で十分な食べ物を得ることはできません。また、人の営みが消えた場所では、野生動物が行動範囲を広げています。カラス、タヌキ、キツネ、ハクビシン、アライグマ、イノシシ、サル。犬猫の命を繋ぐための置き餌は、同時に野生動物も引き寄せてしまいます。食欲旺盛な野生動物たちによって、せっかく置いたフードが一晩で空になってしまうことも珍しくありません。野生動物の侵入を防ぐために、高さや、形状などの改良が重ねられました。」

犬と人の関係

手前が『シロ』、奥が『マリ』
(上村さん撮影)

上村さんが村に訪れる際は撮影だけでなく、ボランティアの方と連携しながら、給餌や散歩などの支援活動を行っています。そして、犬猫の保護譲渡も行なっています。

『マリ』
(上村さん撮影)

「現在は『マリ』と『シロ』の里親を探しています。『マリ』と『シロ』は母親の『チャコ』と一緒に暮らしていたんですが、飼い主さんが80歳の老夫婦なので、村を離れてからは3頭の世話をすることが困難になりました。移住先から一時帰宅をしていたんですが、高齢で車の運転に不安を感じるようになり、自宅に戻る頻度が減ってしまったんですよね。それで『マリ』と『シロ』の新たな家族を探すことになりました。母親の『チャコ』は飼い主さんと一緒に暮らしています。」

いつも笑顔で迎えてくれていた「チャコ」
(2018年3月2日上村3撮影)

飼い主たちもそれぞれに事情を抱えています。飼い主が「戻りたくても戻れない」状況が続くうちは、ボランティアによる犬猫の給餌サポートが依然必要とされています。

『ナナ』と『コーク』との散歩

戻りたくても戻れない飼い主がいる一方、飼い主が戻ってきていても十分な給餌や散歩をしてもらえない犬たちもいます。

長い間ブラッシングしてもらえず、もつれて毛玉だらけのミルク。
元トリマー・看護師の石井がカットしている様子。

昔は、どこの家庭でも犬は番犬として飼われることが一般的でしたが、最近では犬も家族の一員として、家の中で人と一緒に暮らすことが増えてきました。しかし、飯舘村ではまだ前者のように犬との関係を考える家庭も少なくありません。野生動物が多く生息するこの村で、家や田畑が荒らされないように、庭で犬を飼って土地を守っているのです。

娘の『みるく』『いちご』と暮らす『さくら』

飯舘村で暮らす犬のほとんどが15kg以上の中型〜大型犬です。住民のほとんどが高齢者で、中型〜大型犬の散歩を毎日することは、容易なことではありません。
様々な事情を抱える犬たちの給餌のサポートだけでなく、散歩に連れ出すことも、ボランティアの活動の一つです。

犬猫たちの食器は新しいフードを入れる前に洗います

この日、私たちが散歩に連れ出した犬は10頭、訪れた猫の餌場は2か所。掃除・給餌・犬の散歩が終わったのは19時を回った頃でした。人とのふれあいに飢えている犬たちの散歩は、かなり体力を使うものでしたし、3人でも、ヘトヘトになるほどの作業でした。そして、この日私たちが回った場所以外に猫の餌場は6か所、散歩が必要な犬は6頭。これだけの作業を毎週、2人でこなしている上村さんと内藤さん。頭が上がりません。

左から姉犬の『みるく』、スタッフ石井、妹犬の『いちご』

「大変じゃないですか?ってよく聞かれるんですけど、大変ではあるけど楽しくもあります。今日の犬たちの顔見ましたよね?すごい可愛いんですよ。すごい喜んでくれるんです。あの顔を見ると、また来週も来よう、という気持ちに自然となってしまうんですよね。」

犬とともに生きる人と、人とともに生きる犬が、しあわせであるために

上村さんに甘える『ピッコロ』

震災から8年。
8年という時間は犬猫の寿命の半分にも値します。すでに寿命で亡くなった子や、病気で命を落とした子たちもいます。飯舘村で起こったことが風化していかないように、犬や猫が生きる姿を記録し続けること、それが自分の役割だと言う上村さん。
飯舘村に行く際にかかる費用は一度で3〜4万円ほど。犬猫のフード、保護した犬猫の治療費など。上村さんが自費で払われるほか、寄付などからその費用を捻出されています。飯舘村の犬猫に、上村さんの活動に、どうかみなまさの力を貸していただけないでしょうか。

『Call my name 原発被災地の犬猫たち』は家族の文化祭にて、ご覧いただけます。2020年版『Call my name 原発被災地の犬猫たち』カレンダーの販売も行います。

みなさまのお力により、また一人、また一頭が、しあわせになれますように。

【家族の文化祭】
 開催日時:11月4日(月) 10:00-16:00
 開催場所:コミュニティステーション東小金井
      (JR中央線東小金井駅高架下)

上村雄高HP:https://nekotoru.com/299/
イヌとネコとヒトの写真館:https://nekotoru.com/121/


今回の取材に際し、dogdecoがお取引させていただいている3社のメーカーさんから、飯舘村の犬猫のためにおやつやフードをご提供いただきました。心より御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

ベストパートナー様より
モンゴル馬肉ミニチップコラーゲン・さつまいもクッキー・チーズクッキー・馬肉ビスケット・鹿肉ビスケット

プレーントリーツ様より
ささみのおやつ・イワシのおやつ

THC様より
ナチュラルハーベスト・アニモンダ(猫用缶詰)・その他おやつ数種

上記を各社様よりご提供いただきました。

(取材・文=平尾)

dogdeco

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